JR8YDG 白糠養護学校AMCの思い出

JR8YDGメンバーの4人

道東の自然に感激

 平成8年4月1日付けで釧路市の隣町、白糠町の北海道白糠養護学校に発令になりました。初めての道東の勤務となりました。
 「おめでとう! 無線をやって校長になったなんて幸せ者だ!」 昔の上司や同僚から、お祝いか、あきれたのか分からない電話や手紙をいただいて、私も苦笑してしまいました。そう、教員になって30年、ほとんど生徒さんと無線をやって遊んでいた私が、校長に昇任されるなんて、皆さんも(私も)信じられなかったのです。
 3月31日、例のようにパンザマストを家財道具と一緒にトラックに積み込みました。このパンザマストを抜くには、旭川のローカル各局の手伝いをいただいて2m近い雪をよけ、クレーン車で引き抜いたのです。白糠に着くと、すでに白糠のアマチュア無線家が荷下ろしの手伝いに来て下さっていました。人事異動が発表されるとすぐに白糠のハムから町の紹介ビデをが届きました。ありがたいものです。
 白糠の私の住宅は、国道から100mほど入った白糠養護学校と白糠学園の後ろにありました。湿原に2mほど土をもり、その回りにフェンスを張ったこの敷地はそれほど広いとは言えませんが、フェアンスの外は、広大な湿原です。
「1.9Mhzのロングピックが張れる!」私は、感激しました。とりあえずいつものように5月の連休にパンザマストを建てることにしました。


水攻めに降参です

 いつもの転勤の時と同じように4月の末から、パンザマストを建てる準備を始めました。これもいつものように妻も付き合わされています。
 「いいぞ! 石が1個も出てこないぞ。」そう思って喜んだのは、本の1時間ほどでした。
 「うわ! 水だ。水がザーザー流れ出てくるぞ!」1mほど掘り進んだ頃から、回りから滝のように水が流れ出てくるのです。これまでの穴掘りの経験では、水は、下からわき出てくるのですが、ここは、横から滝のように流れ出てくるのです。
 「こりゃあ素人には手がつけられんぞ!」 これまで20本以上穴掘りをしてこんなに水が出たのは初めてです。私は、自分で掘るのはとても無理だと思い、町の土建屋さんに駆け込みました。
 「パンザマストを建てるので穴掘りをお願いしたいのですが。」
 「で、いくらで引き受けて頂けますか?」
 「4万円でどうでしょう」 穴掘りに4万円はもったいないと思いましたが、あの水責めには手がつけられませんので、お願いすることにしました。

 一日おいて、朝早くから土建屋さんが3人の作業員を連れてやって来てくれました。やはり水は滝のように流れ出て、持ってきた水中ポンプ1台では流れ出てくる水に追いつきません。それに注文の深さ3m50cm掘るには、木枠をかけないと穴が崩れてしまい、作業員の命に危険があるということです。そんなわけで水中ポンプが2台追加されて、計3台になり、木枠をつけるという事で材料が山のように運ばれてきました。そして、作業員も10人近くに増員されたようです。
 「10人も作業して。おまけにあんなに材料を使って、いったい経費はいくらに跳ね上がるんだ!」私と妻は、お金の心配も加わり眺めていました。
 工事の人たちも一所懸命にがんばっているのですが、吹き出る水にはどうしようもないのです。3人で半日という作業日程は、大幅に遅れ、二日目の夕方までかかってやっと深さ3m50cmに掘り進みました。
 「明日、クレーン車が来るんですが。」
 「よし、明日まで水中ポンプを3台入れっぱなしで排水しよう。」土建屋さんは、大変な工事を請け負ってしまったという困った顔で眺めていました。
 「それで、工事費はいくらになりますか?」
 「4万円と言ってしまったから、4万円しか取れんでしょう。」
 「4万円でいいんですか! ありがとうございます。」10人の人が二日間働き、ポンプや木枠の材料など素人が計算しても20万円以上かかるでしょう。


飛びは抜群の水面反射

 20m高にTA−371、144Mhzの10ELスタック、7MHzのロータリーダイポールなどが無事上がりました。飛びは、これまでの最高でHFではアフリカに良く飛んでくれました。144MHzでは、札幌まで59で飛んでくれます。辺りたりは湿原で、水面反射で飛びがいいのでしょうか。ワイヤーアンテナも張ろうと思えば1.9のフルサイズだろうと何でも張れる広さがあります。500m四方が湿原で空いているのです。(空いていると言っても本当は地主さんがいるのでしょうが。hi)
 さて、白糠郡には割合電波の出ている白糠町とあまり電波の出ていない音別町があることが分かりました。全国のJCGハンターの皆さんから「是非音別町サービスを」と要望が来ていました。8月のある日曜日午後、私と妻は、音別町サービスをするべくライトバンに発電機とリグを積んで隣町まで出かけました。さて、皆さんも移動運用の時悩まれると思いますが、国道の近くであまり人家がなくTVIなどの心配のないFBな運用場所を選ばれますね。私たちも、国道のすぐ近くに細い道があり、車は入って来ないところを見つけ、早速付近の雑木を使って7Mhzのダイポールをはる事にしました。作業が順調に進みまいたが、どうも車が斜めになっていることが気にかかりました。かっこよく車を止めようと思いほんの30cmほどバックした時の感触が、ひょっとしてと思いました。そのひょっとしての感触は、ぴったり当たっていて、後輪が道路から落ちたのです。雑草が生えていてよく見えなかったのですが、そこは道路ではなく、湿原の草むらだったのです。
 車は、出ようとすればするほど湿原に深く落ち込み、ついに車のお腹がつかえてて全く動く事が出来なくなってしまいました。もう夕日が空を赤く染めています。
 「ロードサービスの車を呼んでくる」私は、妻を車に残し国道まで出て電話を探しました。確かすぐ近くにドライブインがあったと思いましたが、車で走っているものですから、すぐ近くというのは大間違いで1時間以上も歩いてやっと電話までたどり着きました。
 この日のロードサービスの引き上げ料は1万5千円で、収穫は1局も出来ない、まったく踏んだり蹴ったりの移動運用でした。

自然が最高の白糠町

 白糠町に転勤した当時は、まだ雪があり木々の芽も勿論でていませんでした。それが、4月の末になっても5月になっても1枚の木の芽が出てこないのです。私は妻に、
 「ここの自然はいったいどうなってるんだ。草木の芽が全く出てこないぞ。」
 「そうねえ、おそいわね。」こんな会話をしていたのです。それが6月に入ると湿原は突然若草色に萌え始めました。枯れ木のような木々の枝から鮮やかな緑の葉が芽生え始めたのです。ほんの1週間もしないうちに辺りはすっかり萌葱色に染まってしまったのです。そして、夕日が太平洋に沈み始めると、湿原が突然騒がしくなりました。日中は物音一つしない湿原から、水鳥の声でしょうか、それは騒がしくなるのです。深夜に窓をあけて湿原の様子を伺うと、また静まりかえっているのです。
 そして、湿原が見えるか見えないかの薄明かりが差し始める朝の4時頃になると、また湿原はうるさいほどに水鳥たちが騒ぎ始めるのです。私が、深夜にフェンスを通して湿原を観察していると、向こう側に光るものが動いているではありませんか。目をすかしてよく見ると、蝦夷鹿の家族が私の方を見ているのです。距離は、フェンスを挟んで1m〜2mです。
「おい! 鹿が珍しそうに見物に来ているぞ!」妻も出てきましたが、鹿の家族はまだ興味深そうに私たちを観察しているのです。鹿の目だけがキラキラと輝いていました。
 妻は、近所の人に案内され、野山の草花や山菜採りに夢中になっていました。白糠は、自然が最高の町でした。


白糠養護学校でアマチュア無線クラブは出来るか?

 
重い肢体不自由の障害をあるこの学校の生徒さんに無線は出来るだろうか。八雲養護学校のSさん以上に手や足、体の動かない生徒さんが多いのです。しかし、私のこれまでの経験から、工夫さえすれば、どんなことでも出来る能力のある生徒さんだと思いました。幸いにも、アマチュア無線については、八雲や旭川の実践がこの学校の保護者の皆さんに知れ渡っており、
「うちの学校の生徒さんにも、無線を教えて下さい。」という保護者の期待する声がありました。生徒さんとまた無線が楽しめるのは私としては願ってもないことです。着任して、5ヶ月後の平成8年9月には白糠アマチュア無線クラブの協力を得て、養成課程講習会を開くことが出来ました。講師には、元釧路根室支部長のJA8BGR旭氏が快く引き受けて下さいました。幸い、白糠養護学校にも2アマの職員が来るなど条件は整備されました。この講習会は、白糠養護学校の生徒さんはじめ、地域の皆さんが受講され、私の任期の2年間に7回開校し、400人が免許を取得しました。
 
 白糠養護学校の生徒さんの主な障害は、脳性麻痺による肢体不自由と言語障害です。話せない生徒さんにどうして電波を出させるかということを職員のみんなで研究し、パソコンなどの支援機器の活用、SSTVなどの画像通信などの利用、かんたんなスイッチを使った支援器具の開発などがすすめられクラブ局開設の準備が進みました。

 平成9年9月6日、ついにJR8YDG白糠養護学校アマチュア無線クラブ(部員4名)が開局することが出来ました。これも、免許持ちの職員の土日を返上しての指導とJA8BGR旭さんはじめ地域の皆さんの協力の賜でありました。この時開局式に参加して下さった当時の北海道教育委員会釧路教育局の当時の局長、小野寺局長の配慮で、翌年の3月には、最新のリグとアンテナを整備いただきました。ありがとうございました。

 さて、このように各学校に作ったクラブ局も、15年も続くところもあれば、短期間に免許を取得する生徒さんがいなくなり廃局になる場合もありました。学校でなにか新しい事を始めようとするとき、いったいどのくらいの期間、何人くらいの生徒さんに指導できるのかを考えると、私たち教員は考え込んでしいまします。
私は、現在管理職として、厳しい北海道の財政の中、いったいどのくらいの期間、何人の生徒さんに指導できる場合、新しいことを初めたらよいのか本当は迷っています。無線クラブだけでなく、何百万円も楽器をそろえた吹奏楽クラブが、数年でつぶれている例などが報告されています。これは、生徒さんの興味関心が変化する場合もありますが、指導者の転勤でつぶれる場合が多いのが現状ではないでしょうか。500万円でそろえた楽器が2〜3年で使わなくなり一見不経済のように見えます。しかし、例えば私の勤務する北海道の特殊学校の生徒さん年間の教育費は1人1200万円です。このほとんどが教職員の人件費です。そう考えますと、無線機を買った、アンテナを建てたなど微々たる金額です。生徒さんに大きな教育効果が期待できる場合、私たち教職員はもっとダイナミックな教育をお金をかけて実践してよいのではないでしょうか。
 それより、国がTT(複数教員)配置のために出した人件費が、実際には教員を多く採用して、教員の労働時間を軽減するなど、北海道教育委員会と労働組合の癒着は、道民として、国民として許すことの出来ない大事件なのですが。まあ北海道の戦後の歴史が、某国の労働党に支配され、5人や10人殺されそうと拉致されようと、関係のない50年間であったのですから仕方のないことでしょう。