JA8ZWV 江差小学校AMCの思い出



1 江差小学校AMCの開局 

 1975年4月日本人学校から帰った私の任地は、同じ檜山管内の江差町立江差小学校になりました。江差小学校は、北海道でも早い開校で歴史と伝統のある学校です。海外日本人学の 帰国後の任務の一つに、「国際理解教育の推進」があります。私も江差の根ざした国際理解教育を微力ながら実践して来ました。特別教育の委員会活動では、「国際交流委員会」を生徒さんと作り、活動しました。昭和50年代の国際理解教育は、その10年後の文部省の小中学校の教育課程の改訂で日の目をみることになりましたが、学校の国際理解の取り組みはまだ始まったばかりの時代でした。

 江差小学校は、昭和50年4月から57年3月まで勤務しましたが、この国際交流委員会は、全国の小学校の中でもかなり先進的な取り組みでした。文部省に資料をもらいに行った際、北海道の江差小学校から来ましたと告げますと、担当官が「江差小学校を越える実践は、日本ではありません」と言われ、「本当ですか?」と驚いたものでした。やはり指導いただいた校長先生や同僚の先生方の協力の賜と感謝した次第です。私の実践論文「地域に根ざした交際理解教育」は、そんな訳で、第5回国際理解実践論文(国際理解教育研究所主催)で全国の応募からトップ入選することが出来ました。活動した内容が、私の場合これまで欧米中心の理解から、発展途上国の理解を入れ、国際理解の範囲を広げたところでしょうか。私が、発展途上国に3年間生活して、現地の皆さんとの交流をとおして、途上国との連携の必要性を協調したことが目新しかったのでしょう。帰国後ユニセフ活動に参加したことが、私にとって大変勉強になったのです。

 そんなわけで、江差小学校の国際交流委員会の活動に、江差町の港に沈んでいるオランダ製の戦艦「開陽丸」の研究、全校で取り組んだ使用済み切手運動、ユニセフ募金、日本人学校の文通などが中心です。海外文通は、小学生にとって英語が出来ないので出来ませんが、日本人学校の生徒さんは日本人ですから文通がうまく成立したのです。国際交流委員会がこの文通の紹介などお世話をしました。最盛期には江差小学校の生徒さん800人のうち250人が日本人学校の生徒さんと文通していました。江差郵便局から、年間1000通もの外郵(海外への手紙)が出て行ったそうで、大部分が江差小学校の生徒さんの発信した手紙でした。予期しなかった成果に、この文通を郵政省主催の「手紙作文コンク−ル」に応募しました。応募者が全国から14万人とのことですが、毎年江差小学校から文部大臣賞などの入賞者が出ました。

 そんなことで、あまりアマチュア無線を楽しむ余裕がなかったのですが、生徒さんの要望があり「無線クラブ」を発足しました。クラブに入った殆どの生徒さんが電話級の免許を取得して、クラブ局の開設となりました。私も、多忙を極めたため十分な指導が出来ませんでしたが、体育館の放送室をシャックに主に7Mhzで楽しみました。

 放課後、生徒さんと交信していると、校内放送で電話の呼出がかかりました。電話に出ると、すぐ学校の下の海上保安庁の無線局からで、「アマチュア無線の電波が非常通信周波数に入って困る!」という事でした。詳しく実験してみると、7030khz付近にでると、受信機の局発の和だったか差だったかで、混信になるようでした。プロにこの事を説明しても全くだめで、聞く耳をもたないという感じでした。幸い同じ海上保安庁にハムの方がおられ、電監に通報されるまでにはならなかったのですが、とにかく近くに無線局が有る場合は注意が必要です。


関係報道記事 1982/03/14 北海道新聞
          19882/3/16 室蘭民報


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