ハ  ム  線  談  義

この章では、アマチュア無線を楽しんでいてあったことなどを思い出してみました。


1 二度と交信出来ないよ
 私の開局した昭和30年代は、コンデションの良い時期だったようです。何せ公称10Wと言ってはいますが、今のように誰もパワー計を持っているわけでもなく、電信は入力電力の60パーセントとか一般的な定数で計算していました。ですから、私の手作りの送信機などいったいどの程度の能率があったのかは実際は分かりませんでした。推測で、「10Wです。」とマイクの前で言っていましたが、いいとこ5W位しか出ていなっかたのではないでしょうか。
 さて、ある日の午後、高校の1年先輩のシャックを訪ねました。Y先輩は6AR5終段の50MhzAM送信機で得意そうにCQを出しました。すると1、2、,3、4、5、6エリアの方がうなるように呼んで来るではありませんか。私は、初めての50Mhzのすばらしさに大感激しました。
 「すごいですね!先輩いつまで呼んでくるんですか?」
 「いつまでって、相手をしていれば真夜中までこの状態さ。」もう何千局も交信したという先輩の素晴らしいパイルの裁きに関心させられました。
 それから、半年ほどしたある日、私は同じ無線クラブのメンバーに、あの先輩のことを訪ねてみました。
 「ねえ、春に卒業したY先輩、本州に就職したと聞いてるけど、今も電波出してるかな?」
 「出てない。」といともあっさり答えたので私は不思議に思いました。あんなにアクテブに出ていたY先輩がアマチュア無線をやめたなんて信じられません。
 「どうして出てないって決めつけるのかな。」私は不満そうに訪ねました。
 「免許ないやつが電波出せないだろう!」
 「えっ! Y先輩免許持ってなかったの?」彼の解説では、Y先輩のお兄さんが開局していて、彼はお兄さんのコールサインで出ていたのだそうです。無免許のY先輩があまりにも上手にパイルをさばいていたのを見て、私は全く無免許だということに気づかなっかたのです。


2 ご馳走になりました
 私が、バンコクにいた3年間に多くのRASTのメンバーと交流する事が出来ました。殆どの日本人は、日本人社会の中で交流していたのに対して、私はアマチュア無線という趣味を持ったお陰で、現地の方は無論、各国の皆さんと交流出来たのはまさに「キング オブ ホビー」そのものであったと思います。
 帰国して、3年後に再びバンコクを訪問する機会があり、RAST会長のHS1WRカムチャイ氏のシャックをたずね、再会しました。私は、3年前に良く我が家を訪ねてくれた一人のタイ人ハムを思い出して、
 「キテーさん元気ですか?」と訪ねると、
 「ああ元気だよ。電話してみるかい?」と言うことで、カムチャイさんはキテーさんの職場である銀行に電話をかけてくれました。残念ながらその時は外出中で、電話はつながりませんでした。そこで私は、ホテルに戻って、もう一度キテーさんの職場に電話をかけてみますと、今度は運良くつながりました。
 「3年前にHS1AHMを開局していたHARAだけど、今晩食事でもしませんか?」
 「HARAさんお久しぶり。今日は帰りが遅くなるので、先に友達をホテルまで迎えに行かせるかよ。タイビールでも飲んでて。」ありがたい旧友の言葉です。約束どおり友達は車でやって来て、しゃれた中国レストランへ案内してくれました。車には、友達の友達かYLが二人乗っていました。中国レストランでは、私を気遣ってなにかと話しかけて来るのですが、この3人は英語が全くだめで、やむなく私は、3年間使わなかったタイ語を使わざるをえない状況となりました。ほんの100語ほどしか知らないタイ語を使っての会話ですから、相手の3人も疲れたのでしょう。せめて、うまいものでも食べさせて時間をつなごうとしているようです。飲み物、食べ物もたくさん出てきて、早くキテーさんの来てくれるのを両者とも待っていました。
 2時間も過ぎた頃、恰幅のいいタイ人が入って来ました。キテーさんはやせ形でぜんぜん容姿の違う人ですが、私達のテ−ブルの方へ来るではありませんか。
 「キテーだけど、HARAさんですか?」
 「HARAですが、キテーさんですか?」なんと同じ銀行の人で、確かに名前はキテーさんというのだそうです。
 「ああ、無線やってた人ね。転勤したよ。」私は、ぜんぜん知らないキテーさんの友達と2時間もさんざん飲み食いしてしまったのです。しょうがないのでその後は、その全く知らないキテーさんとやけ酒を飲んで帰ってきました。心配だったさんざん飲み食いした分も含めて、キテーさんがカードで払ってくれて、私はありがたくホテルへもどりました。そのキテーさんは、 「ひどい日本人だ!」と思っていたことでしょう。ごちそうさまでした。


3 ロスト バゲージ

 ある時の日本ユニセフハムクラブのネパールへのペデションのことです。計画どおり電波を出し、帰国の挨拶にネパール通信省へ出かけました。
「HARA頼みがあるんだが。このトランシバー日本でアマチュア無線のセミナーを受けたとき寄付を受けたリグなんだけれど壊れてる。メーカーへ届けてくれないだろうか。」ITUセクションの担当官の申し出に、2台のHFトランシーバーを日本へ運ぶことになりました。カトマンズの空港で、日本まで直送するよう申し出ましたが、乗り継ぎの飛行機会社と契約がないのでバンコクで受け取って積み替えなさいという指示です。まあ乗り継ぎでも自分で持つ訳でもなく、飛行機が運ぶんだからいいやと思いながらリグを航空会社へ預けました。
 飛行機は、予定どおりバンコクに着き、1泊して東京に戻るのです。預けたトランクを受取り、リグはすぐ保税倉庫に預けて−−−などと考えながら、ターンテーブルに乗っかって出てくる荷物を見逃さないようにみんなで降ろしていました。ところが、荷物がターンテーブルからなくなって、ゴーゴーとむなしく音を立て回転していました。、肝心のリグ2台が出て来ないではありませんか。「ゴットン」ついにターンテブルが止まり、私達が乗ってきた飛行機の荷物は終わってしまいました。私は、カトマンズで預けた荷物のタグを見せて、ターンテーブルの裏の部屋まで見させてもらったのですが、2台リグの段ボール箱はどこにも見あたらないのです。諦めて、空港内の航空会社の事務所を訪ねて荷物が出て来ないことを話すと、
 「東京までスルーで直送されたんですよ。東京で受け取ってください。」と、いとも簡単に言うのです。
 「カトマンズのお宅会社のオフイスでは、スルーは出来ないから、バンコクで受け取りなさいと言われたんですよ。」と言っても、「トキョー、トキョー」の連発で全く探す気が無いようです。
 久しぶりにバンコクに着いたというのにこのトラブルでもう3時間近く空港で無駄な時間を過ごしてしまいました。
 「東京たって、届いてるわけないよな。」と思いつつ、今日は諦めるよりしかたがありません。
 翌日は、東京行きに乗るため、フライトの4時間前にドムアン空港へ着きました。私達の超安の切符はたいてい座席数より多く売られており、1時間前などのんびり行くともう席が無くなっていますので、早々と出かけ、カウンターの一番前に並ぶ必要があるのです。幸いにも(当たり前か)席もとれ、空港内に入ることが出来ました。しかし、気になるのはあの2台のリグで、本当に東京に着いているのでしょうか。皆さんは最後のお土産などショッピングをされているのですが、私はリグのことが気になって仕方がありません。
 いよいよ登場案内がアナウンスされ、機内へ行こうと歩いていた時です。通路の脇に山になってゴミのように段ボール箱やスーツケースが積んであります。「ロスト バケージ」と看板が掛かっております。私は、
「馬鹿なやつがいるもんだ。こんな大きな物を忘れるやつがいるんだ。!」とからくちをききながら通りすぎようとしました。と−−−見覚えのある無線機メーカーさんの段ボール箱がのぞいているではありませんか。
 「あった! ネパール通信省の無線機だ!」そのゴミのような段ボールの山の後ろの方に2台のリグの箱が放置されてるではありませんか。あきれるやら喜ぶやらで複雑な心境でしたが、とにかくその段ボール箱を拾って機内へ飛び乗りました。壊れているとはいえ2台で50万円以上です。運び屋の責任をとると50万円の補填をしなければならないところでした。なにかの都合で遅くなって、私達が帰ってしまった後に発見され、引き取りがなかったので、ロストバケージになってしまったのでしょう。
 そのリグはめでたく成田に着き無線機メーカーに戻され、修理されてネパールに戻ったのでした。めでたし!

リグがなくなるなんて!!!

4 デリンジャー現象発生か
 
 
大学生のころのある日の朝のことでした。今日の講義は午後からだし、のんびり朝寝をしていた私は、日中のコンデションはどうなっているか気になりました。受信機のスイッチを入れ、7Mhzを聞いてみると夜中はあれだけにぎやかなこのバンドも全く静かです。
 「日中はこんなにこんなに静かなもんかな。一局も聞こえて来ないなんて有りかな?」と不思議に思いRFゲインを最大にしてもノイズも聞こえて来ません。
 「これがデリンジャー現象というんだ。」と勝手に決めて、遅い朝飯にしました。
 午後の授業に遅れないよう支度をして、アパートを出た私は、空をなにげなしに見ました。
 「あれえっ! アンテナがない。」10mの竹竿に上げた7Mhzのダイポールアンテナのエレメントは勿論、引き込んでいるケーブルもないではありませんか。
 「アンテナを盗む人なんているのかな?」と思いつつ学校へ出かけました。
 どうして、アンテナを持って行った人が見つかったかはすっかり忘れましたが、とにかく犯人が分かりました。数キロ離れたところに済む高校生で、親から進学勉強のためにアマチュア無線なんかやるなと言われ、ムシャククシャしてやったとのことでした。すぐにお母さんが謝りに来られ一件落着となりましたが、「アマチュア無線禁止」のその高校生も気の毒になりました。私は、あのような家に生まれなくてよかったとつくづく自分の親に感謝をしたものでした。その高校生の家は、歯科医師でそれは立派なお宅でした。貧乏なサラリーマンの子供で本当によかったのです。hi
 その後、もう一回泥棒がはいりました。その泥棒さんは、造ったばかりの電源を盗んで行ったので、すぐ誰かと見当がつきました。それも高校生で何度か遊びに来ていた子でした。気持ちは分かりますので、強くしかるのはやめて説教をして帰しましたら、その電源は戻って来ました。泥棒は悪いことですが、その位無線が好きな子が今はいないのが寂しいような気もします。


5 私より旨い
 
 私達は4D3UAを運用のためマニラから300kmほど離れた街へ車で移動していました。はじめはDUの皆さんとにぎやかにおしゃべりをしながらドライブを楽しんでいました。マニラを出発するときから南の国の空は厚い雲が覆っていました。まもなく強い雨が降り始めました。車は、リグを積んで山岳部にさしかかり雨は一層強くなり、前も見えにくくなってきました。前方左の道路脇から土砂が流れ出ているのが見えていましたが、車はゆっくりとしたスピードでその土砂を越えようとしていました。しかし、車は土砂に埋まり、前にも後ろにも動くことが出来なくなりました。
 「この辺は、人を食う山岳民族が出て、つい先週も一人殺された。」とDUの人が話してくれました。
 「まさか、人食い土人なんて。」と一緒にこの運用に参加したJA8IOT村井さんと笑っていました。車は土砂に埋まってしまい身動き出来なくなり、乗っていたみんなは降ろされ、何人かが車の後ろを押したり引いたりしていましたが、車はいっこうに動く気配はありません。闇の中を目を凝らすと、車はすっかり土砂に埋まりとても引き出すことは困難に見えました。
すると、闇の中に人影が動いているように見えました。だんだん近づいて来ているようにも見えます。DUのメンバーは、さっきの人食い山岳民族のことを信じているようで、ふるえているように見えました。人影は、ゆっくり近づいてきます。どうも上半身裸のようにもみえます。DUのメンバーは一層怖がっています。私は、10m近くに来たその山岳民族を見て驚きました。
 「村井さん、あのぶらぶらしているものはなんだ!」上半身はだかと思ったのは見間違いで、下半身もはだかだったのです。身長は180以上、ジャイアント馬場まではいかないものの立派な体格の男が10人ほど、はだかで手には蛮刃を持っていっそう近づいて来るではありませんか。道路の谷側を闇をすかしてのぞくと、相当深いようでとても逃げられないところです。村井さんは、
 「殺されて食われるかもしれないぞ!」と真顔で心配しています。それで、私は、つい
 「村井さんの方がふとっていて旨そうだから先に食べられてくれないか!」と言ってしまいました。
 実は、この10人ほどの山岳民族は、車が土砂に埋まっているのを見て助けてやろうと寄って来たのでした。ふるえていたDUの人達もそれが分かるとみんなで力を合わせて車を土砂の中から引きだしました。
 以後、村井さんと飲むと、
 「あの時先に食われてしまえと言ったろ。」とおしかりを受けています。

山岳民族に助けられた 旨そうな村井さん?

6 ジャイアント馬場で思い出したこと

 1992年、極東ARDF競技大会に参加のためJARL派遣の日本チームの団長として、ウラジオスットックまで出かけました。新潟空港から出発しハバロスクまで行き、ハバロスクから国内便でウラジオまで飛ぶのです。ハバロスクでは、韓国チームと空港で会いましたが、韓国チームは立派なホテルで、私達はそれなりのホテルに泊まることになっていました。ハバロスクの無線クラブの方の案内で、無事そのホテルへチェックインして、夕食をいただいて早く休みました。部屋にはテレビがあり、スイッチを入れるとニュースが始まりました。
 「ウッ! なんださっき合わせた現地時間とずいぶ違うな。」と思って計算してみるとテレビの時計は、どうもモスクワ時間のようです。テレビは見てもロシア語が分からないのですぐ切りました。冷蔵庫も部屋にありますが、壊れています。朝になって、朝食のために下のレストランへ出かけることにしました。私達の5階の部屋から1階までエレベタ−に乗りました。中国のYL選手もこのホテルに泊まっていて、同じエレベーターに乗り合いました。エレベーターは、ややスローで、ゴットンと音を立てて4階に止まり、ジャイアント馬場さんのようにでかいロシア人が二人乗ってきました。私は瞬間悪い予感がしました。
 「ブザーもならないから大丈夫か−−−。」と思ったのは私の甘い予測でした。ゴーとエレベーターは下がって行きましたが、ほんの1mほども下がった時です。
 「ガッタン」と音がすると、エレベーターはピタット止まってしまったのです。
ジヤアント馬場さん達二人は思いきりドアや壁をたたきましたがエレベーターは動こうとしません。今度はジャイアント馬場さん方は大きな声で怒鳴り始めましたが何を叫んでいるのか全くわかりません。2〜3分もすると電気が消え、エレベーターの中は真っ暗になってしまいました。中国のYLさん達も心配そうに小声でしゃべっていますが何を言っているのか全く分かりません。
 そのうちエレベーターが止まったことに気づいたホテルの女の人が何人か外で騒いでいるようです。変わらずジャイアント馬場さん達が大声を出しています。15分も過ぎた頃、女の人の声が天井から聞こえて来ました。
 「今助けますよ!」とでも言っているのか、
 「馬鹿だね!」と言っているのか、全く分かりません。
 25分位した頃やっと扉が人力であけられましたが、床より1mも高いところで止まっていました。
食堂では、一歩先に出かけた日本チームの皆さんが私を待っていました。
 「どこへ行ってたんですか?」皆さんは不思議そうな顔をしています。私は、
 「ちょっと暗いところへ行ってきました。」

 ハバロスクのホテル  参加した日本選手団

7 超DX TV受信の巻

 ネパールでは、いつもお世話になっている家庭があります。ここのご主人は、カトマンズの音楽家で事業家でユネスコの代表もされている方です。全くアマチュア無線のことには関係していない方ですが、私がネパール通信省になんどもアマチュア無線の免許申請に出かけていることを知って、彼は彼なりのルートを使って免許発給のためにいろいろ努力していただきました。何回目かの免許申請に出かけた際にこの家庭から、
 「インドのテレビが見たい」という希望が出てきました。ネパールでもテレビは放送していますが、放送時間が短いことや内容がつまらないという理由で多くの家庭では、インドのテレビを見ているようです。
 「インドってどの辺のにあるTV局なんですか?」と訪ねると、なんとデリーで1000km位離れているとのことです。1000kmと聞いて私もビビリましたが、とにかくエレメントになるアルミパイプを買って来ました。通信省に出かけたときに、デリーのTV局の周波数を確認して、それをもとに10エレのアンテナを設計して、家の屋上に上げてみました。なんと多少のスノーは入るもののM4位で見えるではありませんか。300円で造ったアンテナにこの家族からすっかり喜ばれました。カトナンズが1500m位の高地にあることが幸いしているようです。
 今は、衛星放送でスターTVなどを見ていますが、1986年頃の話しでした。


8 言って良いこと悪いこと

 1996年の5月、KARL(韓国アマチュア無線連盟)のARDF競技大会に参加しないかとお誘いを受け北海道のARDF愛好家が招待を受けました。10人ほどの有志が参加することになり私も参加させていただきました。HL1IMF朴さん、HL1ACW金さん他の歓迎を受けました。ARDF競技は、団地の中の小学校のグランドで開会式が開かれました。私は、日本のB級審判資格を持っているとうっかり言ってしまい、審判を仰せ使ってしましました。競技場は、学校の裏山で、砂岩のような滑りやすい様子だったので、走った日本の選手のOMさんには気を付けるようお願いしましtた。
 さて、殆どの選手の皆さんがゴールしたのに北海道のOMさんが戻って来ません。ゴール審判の私は、うっかり
 「P5(北朝鮮)に迷って行ってしまたんでないかな。」なんていうジョークを飛ばしましたが、ひょっとしてこの国で北のことなど口にしたのは大変な不見識なことを言ってしまったのではないかとあわててしまいました。幸いにも、そばにいた何人かのHLの皆さんは、私に合わせて、
 「北に行くと拉致されるぞ!」と合わせてくれましたのでほっとしました。それぞれの国には、いろいろな政治事情や宗教文化などの違いがあり、発言や行動には気を付けなければと思いつつ、つい平和な日本の慣れから、触れたはいけないようなことを言ったり行動していたのかもしれません。

 開会式      みんなで昼食 本邦初公開 HLのお弁当

9 支援してやりたいけれど

  S2で運用していた時のことです。数人の青年がシャックにやって来ました。私が、
 「アマチュア無線を知っているのですか。」と訪ねると、皆さんダッカの工業大学の学生さんで、是非大学にアマチュア無線クラブを作りたくて見学に来たとのことでした。機械や免許のことなど詳しく聞いていましたので、私は、
 「皆さんがアマチュア無線クラブを作りたいなら、是非BARL(バングラデイシュアマチュア無線連盟)に相談してみてはどうか」と提案しました。すると彼らは、
 「BARLは協力してくれないんです。」と寂しそうに答えました。私は、その時すぐ気が付きました。と言うのは、どこの国の大学生も、左翼、右翼などの学生運動を活発にやるので、BARLは本当は学生さんに援助をしたくても、彼らに無線機を持たせた場合の不安要素を考えているのではないかと直感しました。なんども書きますが無線機は、政情の安定しない国にとってとても怖い物と思われているのです。学生さんの興味深そうにみるアマチュア無線をそんな背景からBARLは応援出来ないのでしょう。資格さえ取れば自由に無線の出来る日本は、なんと幸せな国かと改めて感じました。
 この私の直感は当たっていたようで、BARLのミーティングでこれまでにあった学生運動で無線機が使われた事例を話してくれた方がいました。


10 勤務時間中のアマチュア無線活動

 昨年の秋のJARL理事会の後の懇談会の時だったと思います。ある理事さんが私に、
 「北海道の会員で、とんでもないやつがいる。あんたと同じ教員。勤務時間中に、バンバンメールを発信して来る。民間の会社なら即刻首だぞ。」日頃物静かなその理事さんは、本当に怒っていました。私もその教員ハムから50通ほどメールをもらっていて、殆どが勤務時間中の発信であることは知っていましたが、自分の事を指摘されたようで、赤面してしまいました。実は、私の勤務する学校で、インターネットとつながった時、同じ心配がありました。私は、まず使用規定を作ってから職員のインターネット利用を始めました。原案を職員会議にかけ、全職員の理解のもとに内規として位置づけました。使用規定の中では、勿論「私用メールの禁止」と「私用WEBの閲覧」を禁止しています。
 私は、勤務時間中にインターネットを私用に使っている教員が悪いのは勿論ですが、管理職である校長の管理が出来ていないのであって、校長の職務怠慢であると思います。
 実は、以前、北海道庁の無線クラブの人が勤務時間中にアマチュア無線をやっていて内部告発され、新聞に大きく報道されました。なんと新聞には、ログのコピーまで載っており、運用時間がはっきり出ているではありませんか。即刻道庁の屋上に上げられていたアンテナは撤去され、運用していた人達は懲戒処分を受けたそうです。
 私は、北海道の特殊教育のインターネットを活用した情報教育の研究会「北情研」の事務局長という情報教育を進める立場にありますが、このインターネットや無線の私用は大きな問題に発展する可能性があり、憂慮している一人です。インターネットの光と陰、みえない陰の部分についても、もっと研究する必要がると感じています。勤務時間中のゴルフ、アマチュア無線など趣味におぼれる人に趣味を楽しむ資格ないと私は思っていますが、皆さんはどうお考えですか。


11 律儀な鉄砲ハム
 ある夜、某組に所属していると噂されるハムから電話がありました。JARLの事で文句があるということで、いきり立って電話で怒鳴りまくっています。私は、布団に入ったばかりで、寝ぼけていたので反応が遅かったのがよけい相手を怒らせたようで、相手はついに切れて、
 「寝ぼけたことをいうな! これからライフルもっておまえの家まで押し掛けるからな!」もう10時を過ぎていて眠かった私も頭に来て、
 「分かった12時迄に来いよ。12時過ぎたら寝てしまうぞ。」とへんな約束をしてしまいました。私は、妻に、
 「12時までにお客さんが来るぞ。鉄砲もって。」
 「だから言ったでしょ。JARLの役員なんかなるんでないって言ったでしょ。!!!」
 「おう、こっちも水鉄砲でも探しておくか。」などじょうたんを飛ばしていたものの、その日は疲れていて、私は約束に反してぐっすり寝入ってしまいました。次の日の朝、起きて昨日の約束を思い出し、妻に、
 「昨日の鉄砲のお客さん来たかな?」と訪ねると、
 「来ないから生きているでしょう!」とのこと。なるほどと私は納得しました。
で、この話には後日談があって、なにかの機会にその「鉄砲ハム」に会う機会がありました。彼は私の方に近づいてきて、
 「こないだは行かないですまん。あんたのところに着いたのが12時2分で、2分遅れたから起さんかったわ。」と言うではありませんか。
約束の時間に2分遅れたから来なかったというのは、やや眉つばな話しですが、もし本当なら律儀な人ですね。


12 ついに電波の出せなかったA君

 八雲養護学校の生徒さんの殆どは難病の一つである筋ジストロフィ症の患者さんです。筋ジストロフィ症は、まだ原因も治療法も確立していないない残酷な病気です。人によって進行の早さはちがいますが、まず歩行が困難になり、車椅子の生活になります。そしてやがてはベッドに寝たきりになってしまいます。A君は、高等部に入ってからは移動ベットに寝たままで登校していました。そのA君は、無線クラブに入り、是非アマチュア無線の資格を取って電波を出したいという事でした。彼は、言っていたとおり病院を会場にして開催されるJARDの養成課程を受講したいと希望を出して来ました。病気の生徒さんに免許を取らせてきた私にもベットに寝たままの受講がはたして許可になるものかJARDに問い合わせてみました。するとすぐに返事が来て、受講は許可するとの回答で、私もA君も感激しました。彼は見事に終了試験をパスしました。従免は約1ヶ月後の発給です。その間も彼の病状はどんどん悪化して、ついに登校出来なくなりました。
 私の悪い予想は的中しました。従免が来た時には、かれは既に危篤状態でしたが、幸いなことに意識ははっきりしていました。
 「元気になって、電波だそうな!」その私の言葉は、彼は全く無理だという事を知っていたのです。彼は、一回も電波を出すことなくこの世を去りました。筋ジストロフィ症、なんとむごい病気でしょうか。多少の個人差はあっても、おなじパターンで進行し、若い命を奪っていくのです。私も、つい1年前に先祖に延命を祈りました。その時私は、56歳でした。すでに人生の中で計画した大部分の事をやり終わった私が、「もっと生きたい」と先祖に願ったのです。あの死の恐怖をどうして10代の彼らに神や仏は与えるのでしょうか。(2002/03/25)


13 役だった先輩ハムの話し

  日本ユニセフハムクラブ設立の案内を出して、90人近い方から「参加したい」と申し出がありました。アンケートに、「役員を引き受けますか」という項目がありましたが、これには殆ど○が付いていませんでした。それで、最初はどなたがどんな活動をされているか、どんな方かなどの情報は全くありませんでしたので、「引き受ける」と○が付いていた方全員を役員にお願いしましたた。中で、JA3UB三好OMも○がついており、大OMでもあり、海外へ出かけて活動しているという噂も聞いておりましたので、「副会長」をお願いしました。
そんな訳で、初期の日本ユニセフハムクラブの活動の相談や実際に海外遠征などにも参加していただき、いろいろアドバイスをもらいました。
 何回目かの海外に同行いただいたとき、JARLの運営の事などにも話題が及びました。三好OMの話しの中で、
 「会員はもっと会長や理事に積極的に意見を言わないとあきません。雲の上の人にしてはあかんのです。」自称「口べた」の三好OMは、私にしゃべらさないようによくしゃべっておりました。hi(関西の人に口べたの人なんかいませんよね!)
 そんな、弟子(?)の一人の私がJARLの理事選挙に出たのですから、さぞかし三好OMも驚いたことでしょう。三好OMの言ったこととはやや異なっており、JARLの原会長や理事の皆さん雲の上の人ではなく、気さくな方達ばかりです。新米理事の私などの意見もよく聞いてくれますし、無線の話しをするときは全く一人のハムとして気楽に付き合っていただいております。
 しかし、私もその後三好OMの行動に驚かされました。「三好OMの辛口談義の一つ」と私が受け取っていたJARL批判に関して法的手段に訴えた事でした。三好OMは、JARLを相手に2〜3件の裁判を起こされています。三好OMは、「趣味とはいえ、厳しさも必要」と身を持って示されたのでしょう。(2002/03/25)

口べたな? 三好OM(右)

14 ラジオを楽しませてもらった
 

 ペデションの楽しみは、単に海外から電波を出すという楽しみだけではありません。私の殆どの海外運用は、日本ユニセフハムクラブのメンバーの皆さんと出かけています。同じメンバーと言っても、殆どは初めてお会いする方です。気心をお互いに理解するには、ほんの少し時間がかかりますが、「ユニセフを支援している」「アマチュア無線をやっている」という二つの接点があると、ほんの数時間もするとすっかりうち解けてしまいます。
 参加される皆さんは、超ベテランの方もおられれば、つい最近免許を取って国内では一回も電波を出したことがない超超ビギナーまで、そして、年齢、性別、職業もバラバラ、まさに異業種交換会と言ったところです。
 数回参加して下さったJA3DM馬場OMもそのお一人でした。馬場さんは、お酒が好きで、よく私達若い者(?)と飲みながら、
 「私は、ラジオを本当に楽しませてもらった。」が口癖で、いつもコップを片手に目を細めて、アマチュア無線を楽しませてもらった事を感謝していました。私もアマチュア無線を高校生の頃から楽しませてもらいました。
 「馬場さん、私もなんです。アマチュア無線に出会い人生が変わったんです。アマチュア無線で出会った皆さんが、私を変えてくれたんです。」私は、引っ込み思案で、よく父や母に、
 「あんたは、近所の人に挨拶も出来ないのに、マイクの前では良い挨拶してるね。」と笑われていました。とても人前で話しをする教員なんかには向かないと両親は考えていたようです。その私が、日本ユニセフハムクラブの会長、北海道ハムフェアの実行委員長、JARLの役員など進んで高いところで挨拶をするなど全く期待していなかったとの事です。hi
 その馬場さんも他界されました。私も、馬場さんと同じように「ラジオ」」を楽しませてもらいました。


15 JARLはなんのためにあるのか

 「JARLはなんのためにあるのか」と皆さんはお考えでしょうか。多くの方は、QSL転送を上げられるでしょう。アマチュアの既得権の防衛、コンテストやアワードの発行、JARLの実施している各種の事業を上げられる方もいるでしょう。
 私は、最近ショックを受けたことがあります。JA1ELY草野さんが、これまで総務省がかたくなに「プライバシー」として公開していなっかたアマチュア局の情報の公開を求めていたところ、コールサインと免許されているかどうかということを請求者に開示すると回答があったというのです。私は、一人では行政に要望が聞き入れてもらえないことも、社団法人という組織を作って、強力にアマチュアの要望を実現させることがJARLの中心的仕事であると考えていました。これは個人の力には限界があると思っていたからです。
 ところが、今回、草野さんが個人として開示の申請をして、一部が認められたのです。コールサインと免許の有無ではなんの役にも立たないと意見がありますが、私は役に立つか立たないかの次元ではなく、一部でも「開示する」か「開示しない」かの行政のこれまでの判断基準を変えさせたことは、大事件だと思います。その開示された情報が利用価値があるかないかはまた別な問題でしょう。
 私は、私のJARLというか法人に対する認識を変えなければならない時代がやって来たと思います。最近の行政は、個人も法人も同じ重さで、団体だから力があるなどというのは、古い時代の思いこみではないかとさえ思えるようになりました。様々な権利が団体から個人に移って来ているのです。私達は、古い時代の慣習から団体に頼りすぎていたと思います。団体でやれば何でも通るという数や力の理論ではなく、「正しい」か「間違っている」かと言う判断基準の問題でしかないことに気づきました。行政が判断した事に納得がいかなければ、更にその上の行政の判断はどうなのか、更に司法の判断はどうなのか。判断基準の再検討であれば、なにも団体でなくとも、たった一人でも「再検討」の申請書を1枚出せば良いのです。この事を草野さんは証明したのです。
 では、団体のJARLは、なにも出来ないのでしょうか。いえ、出来ます。これまでの陳情外交をやめ、文書で申請して文書で回答してもらう。そして納得がいかなければ更に上の行政機関の判断を仰ぐ。それでも納得がいかなければ司法に判断してもらうのです。判断だけの問題ですから、喧嘩ではありません。勝った、負けたと言うような問題でもありません。感情レベルの問題でもありません。
 個人で解決が難しいことに「経費」の問題があります。行政は、開示によってかかる経費は、申請者が負担するのは当然でしょう。例えば、北海道庁では、開示書類の1ページにつきコピー代が70円だったと思います。これを例えば100万人のアマチュア局のコールサインと免許の周波数だけとしても、膨大なコピー枚数になりとても個人が負担出来る額でない事が予想されます。フロッピー1枚でOKになることも考えられますが、今度は、そのデーターがどんどん利用され、開示の申請以外の目的に使われるおそれがあります。。
 こんな事を考えると、JARLは、アマチュア無線愛好家の知恵を集める集団で十分で、必ずしも「数は力なり」という数の幻想から逃げ出せるのではないでしょうか。
 


16 損したのか得したのか

 やっと職場復帰が決まり、昨日引継に新しい職場に行って来ました。9年前1年間だけお世話になった職場なので精神的には多少の余裕がありました。一番最初に、私の部屋のパソコンやインターネット環境を見ましたが全くPCもLANケーブルも入っていませんでした。9年前と全く同じ環境にがっかりですが、逆にまた作る楽しみがありそうです。これまでの職場では、職員と一緒に天井裏をはい回り、LANケーブルを引き回したのはいいのですが、天井のボードの何カ所に足を落としてヒビを数箇所作ってしまいました。事務長さんは頭に来たでしょうが、諦めていたようです。校内一回りしてLANケーブルは2000mを越えてしまいました。小さな学校でしたが、20教室と職員室に50台ほどのPCを入れ、専用線も引きました。これから実践を深めようとすると転勤なのは残念なことです。
 そんな訳で、大変よい口実ができて、私は妻に、
 「オレの部屋にパソコンないから買うぞ!」ど朝に宣言して、夕方に1台買って来ました。それで、いま箱をあけて驚いたのが、キットのつもりで買ってきたつもりがメインボードからCPUすべてがもうくっついているではありませんか。コネクターも全部差し込んであり、後はハードデスクにOSとソフトを入れれば良いだけです。
 「コリャー損した、作るところが全くないぞ!」と私が残念がると、妻は、
 「得したじゃない。組み立ててあるんだから。」
 皆さん、私は損したのでしょうか、得したのでしょうか? (2002/03/26)
 
 今日は、もっと驚きました。OSを入れようと思って電源を入れると立ち上がるではありませんか。OSのシリアルNOを入れると動き出すようになっていたのです。これではキットではなく完成品ではありませんか。やっぱり私の組み立ての楽しみを奪ったのですから「大損」をしたのです。(2002/03/27)


17 JARの理事は月給いくら?

 ある時の支部大会の役員との懇談会のことです。支部の役員を20年近くされているOMさんから、
 「JARLの理事さんは、月給いくらもらっているのかな?」という質問です。そのOMが20年近くも支部役員を続けられているとは信じられない質問です。私は、絶句してしまいましたが、ちゃんと説明しておかないとと思いなおして、
 「17人の理事のうち、常勤しているのは専務理事で1名で、給与をもらっているのは常任理事だけ、後の16人は会長を含めてボランティアですよ。」
 「そうか。知らなかった。ボランティアか。」それでも彼は、まだ信じがたいという表情を見せていましたが、驚いたのは私の方でした。20年支部役員をやって下さっている方が、この認識ですから一般のJARL会員さんの理解はどの程度のものでしょうか。
 例えば日常の活動についても、道北の支部大会に参加するには、私の住んでいる町から400km近く離れており、途中高速道路路使って、飲まず食わず、休みなしに車で走って7時間はかかるのです。私は、朝の3時に起きて、その支部大会に間に合うように出かけたました。妻の、
 「全くあきれる。無線の事になったら朝駆けで出かけるの!」と馬鹿にされての出発です。夜にPTAの会議などが入っている場合は大変です。所定の時間まで帰りつかなければなりません。良き社会人として仕事はなおざりにはできません。絶対に戻らなければならないのです。支部大会で挨拶をしている時も、写真を撮っている時もなんとか予定の時間に終わりますよう天に祈っているのです。hi
 道東は、もっと大変です。土曜の午前の汽車に乗り、なんとか最終列車で現地入り、翌日の支部大会に参加して、また、汽車に飛び乗り南千歳で室蘭行きの最終に乗ります。最終の特急は、僅かの時間差で乗り継ぎできないのです。やむなく最終の室蘭行きに乗り、東室蘭に下車、妻に東室蘭まで車で迎えに来てもらって、自宅まで帰ります。もう零時を過ぎています。これだけがんばっても、会員から見れば、
 「午前で帰ってしまった。」と言われるのです。
 ボランティアと言っても私達JARL役員のようにアマチュア(?)もいれば、プロ(?)のボランティアもいます。今TVでは、某女性国会議員の辞職のニュースが盛んに流れていますが、彼女は以前ボランティアをやっていたという事を聞いてます。私は、彼女はプロのボランティアでなっかたかと思いました。「プロのボランティア」、つまり収入にならない仕事はしないボランティアです。地震だとか災害があるといち早く現地に飛び、現地に組織をつくり活動資金を政府や行政、民間からかき集め、莫大な資金を得るのです。平和運動などの大儀名分のたつような寄付金の集めやすい活動だけを選んで参加するのです。某北海道の男性議員さんは建築会社に献金させていましたが、プロのボランティアは、市民の寄付金や行政の補助金を可能な限り集めるのです。徹底的に集めるのです。女性議員さんは秘書の給与を搾取していたようですが、彼女はひょっとしてプロのボランティアではなかっのではと思うのは、勘ぐりすぎでしょうか。
 かの世界的に有名な環境保護団体もプロのボランティア集団だというわさがひろがっています。環境保護を大義名分に巨額の資金を集めているそうです。
 JARLの活動もやや似たような意識の人がいます。例えば、「CW講習会」という事業を企画します。そして、この事業のために事前に5回くらいの会議や準備の作業日を計画しておきます。集まる大義名分はいくらでも付けられます。そして、そのたびに、旅費と弁当代、会議費などなんでも大義名分のつく経費を支出すればよいのです。当日の事業本体は1万円、その前の準備会議に5万円、反省会議に2万円、合計8万円で領収証はそろい大義名分もあり、これで一つの事業が構成されます。事業本体の何倍もの経費が自分たちに入って来るのです。これを私はプロのボランティアと呼んでいます。
 私は、このようなプロのボランティアは大嫌いです。(2002/03/27)


18 趣味はお金がかかるのです

 いろいろな趣味を楽しむにはそれなりのお金がかかりますね。アマチュア無線もアンテナだトランシーバーだとかずいぶんお金がかかり、妻もいつも渋い顔です。リサイクルなどで、経費をおさえ古いリグでも楽しめるのですが、やっぱり新発売のピカピカのリグを使いたくなります。わたしのように、50回近くも海外に出ますと、リグにはなかなか投資が出来ません。妻からは、
 「海外旅行でお金を使い、病気でお金を使い、もう無線にはお金は出せません。」と印籠を渡されています。私は、
 「道楽は、金のかかるもんだ。」とうそぶいていますが、皆さんのご家庭ではいかがでしょう。
 学生時代、仕送りを受けている身分でラジオやさんにはずいぶん借金をしていました。函館に「ハリマ無線」というパーツ屋さんがあって、私はいつも借金をしていました。最高の時は10万円にもなっていました。当時の初任給は、2万円前後でしたから、今の100万円以上に相当する額でしょう。よくハリマさんも無収入の学生に付け買いをさせてくれたものと感謝しているところです。その「ハリマ」さんも最近店を閉めたとのことで寂しく聞いておりました。
 さて、「お金がかかる」「高い」などと感じ方は大いに個人差があります。例えば、北海道ハムフェアーを開催して、主催者側の私たちは、あれだけ苦労して準備をして僅か500円や700円の入場料は、「安い」と思いますし、来られた方は、「高い」と感じたかもしれません。しかし、趣味を楽しむには、それだけのお金がかかることは覚悟して楽しまなければなりません。私は、勝負事が合わないと言うか必ず負けるので、やらないことにしています。パチンコなどもう何十年もやったこtがありません。パチンコをやっている方に聞くと、一回に2万円とか多い時は5万円も注ぎ込むそうで私は驚いてしまいました。しかし、注ぎ込んだ何倍も玉が出ることもあるそうで、その夢を追いかけて、5万位注ぎ込むのは安いものかもしれません。
 また、北海道ハムフェアーの話しで恐縮ですが、500円の入場料が高いと言って入り口で文句を言っている人がいるから対応してくれとのことです。50代位の方が待っており、
「高いから只にしろ。」の一点張りで私の話には耳をかたむけてくれません。まあハム仲間でわざわざ来てくれたのだから、一人や二人を只で入場させても、実行委員会の財政に響くわけでないのですが、どんな根拠で只にしろと言っているのか聞くことにしました。しかし、聞いてみますとどうも根拠はなく、つまり、前の人にくっついて只で入ろうとして見つかって、その口実に「高い」を連発していたように見受けられました。このひとは、堂々と正門から只で入ろうとした人でした。
 その後、会場係の実行委員さんから、
 「裏口からぞろぞろ入って来ています。」との連絡です。早速裏口に行ってみますと、同軸ケーブルの引き込みのために少し開けてある裏口から、只で入ってくるのです。それであわてて裏口を人の入れない広さまで閉めました。この事に限らず、
「ハムは貧しい人が少なくない。」と感じています。それは、財布には、札束が詰まっているのかも知れませんが、精神的には貧しい人がいると言うことです。こんな事を書くと叱られますね。
 「ご苦労さん!」と言って、ポンと100万位ご祝儀を包んでみたいものですね。(2002/03/30)



19 4級でも、いんでないかな

 同じハム仲間と言っても、資格はいろいろで、4アマから1アマ、プロの1通1技、総合1級の方までおられます。資格が上の方が良いのは勿論ですが、4アマでも本人が満足していればそれで良いんじゃないかと私は思っています。海外遠征に行くと、ファイナルのチューニングがとれない2アマ1アマも珍しくありません。机上での理論学習では、アマチュア局は運用も保守もできないことが分かります。機関銃のように電信を打ちまくっている方が「電信級」であったりします。スキルのちがいは本当にすごい差があるのには驚かされます。。
 そんな中で、1アマとか2アマとか上級ハムを名乗る方に、実はニセ者がいて、そういうたぐいの人を「自称1アマ」とか「自称2アマ」と言っているそうです。
 「あの人が−−−。」と思うような人がこの「自称」資格であったりするとがっかりします。バイクや自動車の免許では、この「自称」はあまり聞きません。原付の免許の人は、ちゃんと原付バイクに乗ってますよね。原付免許で満足していればそれでいいのではないでしょうか。上級資格を取ると突然偉くなる人がいて、これには驚いてしまいます。まるで人格までが上級になってしまった錯覚に陥り、4アマの人を見下した発言や行動をする人がいます。そのために回りの人が離れていくこともあります。
 同じ2アマの人でも、私のように完全丸暗記で計算をしなくともすぐ答えの分かる人(?)もいれば、ちゃんと理論から公式を導き出し、計算して答えを出すのでは実力に雲泥に差があります。
 「アマチュアはみんな平等だ。」と私は考えています。とは言うものの「全くアマチュア無線を知らない方」とQSOしたり一杯飲むとすっかり疲れてしまいます。
 それから、電波秩序の維持という観点、及び上級を取られた努力に敬意を払い、資格別のコールサインを実施しても良い時期に来ているのではないでしょうか。
 娘が、南アフリカ共和国に1年ほど行っていた際、折角だから南アの免許をもらおうと日本の電話級の免許証を出したところ、「国内交信に限る」という条件付きで免許され、がっかりしたことがありました。やっぱ4級の国際的制限は厳しいものがあります。書いているうちにだんだんタイトルと合わなくなって来ました。hi(2002/03/30)


20 アマチュア無線は永遠に生き残れるのか

 私のように40年もアマチュア無線を続けてきた者には、アマチュア無線は永遠に続くものと思っていますが、本当にそうでしょうか。私の指摘は、今の電磁環境問題です。聞いた話しですが、アマチュア無線をやっている人のところに男性がやって来て、
 「近所に住む者だが、あんたが電波を出すと頭が痛くなる。無線をやめてくれ!」と言うのだそうです。その後、だんだん訴えが頻繁になり、町内会にビラを配りだしたそうです。そんな訳で、折角建てた新築住宅を出ていかなければならなくなったそうです。
 また、熱心なハム校長先生が、学校にクラブ局を作り生徒さんに運用させたところ、保護者から、
 「電波が頭に悪い影響がある。」という強い申し出があって、校舎に上げたアンテナを撤去しなければならなくなったそうです。携帯電話の中継局なども電磁環境の問題で地域の住民の反対にあって建設出来ない例も出てきています。
 環境保護の立場から、人だけでなく動物や植物に対する電磁波の影響も問題になって来ています。前例のように脳に障害を受け、頭痛が起こるなど、医学的に証明出来なくとも問題になると、私達ハムの方は防衛する方法がありません。高圧線の下に住む人はガンになりやすいというデーターもあるそうです。私が10年ほど前にある週刊誌から電話で受けたアンケート調査で、
 「あなたは、20年以上無線をやっているそうですが、お子さんは、何人で性別はなんですか?」とのこと。確かに放送局の技師や病院のレントゲン技師さんに女の子が出来やすいと言う話しは聞いていましたが、まじめに調査をしているところも有ったので驚いてしまいました。生殖機能になんらかの影響があり、出生の男女比が影響されているとすれば、やっぱり電磁波は人体に影響があるのでしょうか。自分の家だけでなく、ご近所にも影響があるとすれば大変なことです。近い将来、鉄砲を撃つのと同じように、人家の何キロ以内はアマチュア無線禁止などと規制されては大変です。我が家の子供は3人とも女です。参考まで!(2002/03/30)
 


21 10年楽しんだら

 私は、アマチュア無線に限らず10年楽しんだ趣味は、自分が楽しむだけでなく、他の人にも楽しんでもらいたいと思います。10年という期間がはたして妥当な期間なのか疑問でもあります、「楽しんだ」という表現も基準がなく曖昧な表現です。これは、私の基準ですから、他の人に押しつけるものでもありません。
 私のHPの各所に、アマチュア無線を始めて、いろいろ楽しみました。また、趣味を通してたくさんの人との出会いがあり、出会った皆さんから良い影響を受けました。それで、ある時期から「アマチュア無線文化を長く後世に残したい。」と考えるようになりました。その為に、学校クラブの開設、養成課程講習会の講師、地域クラブの役員、職場のクラブの役員、特殊クラブの役員、JARLの役員の引き受けてきました。学校クラブの顧問は、どちらかというと教員という職業の仕事の中の一つで、取り立てて話題にする必要もないのかも知れません。
しかし、殆どの場合は、生徒さんに頼まれたのではなく、
 「こんな趣味がある。皆さんやってみませんか?」、と私の方から生徒さんに提案し、顧問にしてもらった(?)のです。もちろん私はアマチュア無線を10年以上も楽しんできたという責任からの自発的行動です。勤務する学校以外のクラブにおいても、同じように「頼まれた」というより、自分から「やらせて下さい。」に近い状態です。JARLの理事など、現職理事がいるにもかかわらず、選挙にまで持ち込んで、なんとか理事になろうとするのですから、正常な人は、
 「あいつは、おかしいやつ。」と思われるのも仕方のない事です。
 そんなわけで、自分の趣味を後世に残そう伝えようという行動は、異常な行動なのでしょうか。その異常と思われる行動が私に現れたのは、アマチュア無線を始めて10年くらいたってからの事だったと思います。ある時期まで、アマチュア無線は、個人の趣味で、人に勧めるとか、仲間と一緒にやるなんてとても煩わしく思っていた時期もありました。しかし、時間と共に、皆さんと一緒にやろうとか、アマチュア無線を後世に伝えようなどという大それた思いが強くなって来たのです。
 他の趣味を楽しんだことのない私は、他の趣味の世界を全く分かりません。スポーツやたくさんある趣味は、仲間をつくるとか、後輩の育成などどうなっているのでしょう。
 私がある時期までそうだったので、あまり攻める訳にもいかないのですが、アマチュア無線は「個人の趣味」と割り切って、クラブにも所属せず、JARLはカード転送の手段として入っている、人との関わりをもたないので、後輩の育成などには、興味も関心もない、これで良いのでしょうか。
 よくJARLのQSLカードの転送などの作業をボランティアでやってはどうかという提案があります。しかし、この案は、自分をのぞいた他の人にボランティアをやらせ、自分はバンバンQSOを楽しんで、カード転送を利用することが前提にあるようでとても賛成出来ません。「私遊ぶ人」「あなたボランティアやる人」では、納得出来ないのです。
 よくアマチュア無線のクラブで、年1回の総会などが高級ホテルで開催されます。宿泊と宴会参加費で2万円も払って、中身が宴会だけというのも寂しいものです。せめて、アマチュア無線愛好家として資質を高める研修などが有って良いのではないでしょうか。とくに私の個人的希望としては、後輩の育成事業をクラブで持ってもらいたいと思います。アマチュア無線の特性を生かした社会参加活動なんかも是非無線クラブが中心になってやってほしいですね。昔、ライオンズの無線クラブが青少年を対象にしたコンテストを開催していましたがなくなったようで残念です。
 アマチュア無線という趣味が、自分が楽しんだだけでサイレントになっていくのは寂しいことだと思いませんか。(2002/03/31)


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