韓国のラジオ製作愛好家クラブ
OLD NEW RADIO CLUB
第5回総会に参加して


ラジオ少年 会長  原 恒夫(JA8ATG)


1 招待状届く

  「ラジオ少年」が発足した平成17年5月からまもなくして、韓国から20台以上の真空管キットのオーダーがあり、同じ趣味の仲間が韓国にいることを喜んでいました。その後も注文をが続き、韓国にラジオ製作愛好家のクラブがあることを知りました。
 その韓国のクラブから「是非総会に参加して、ラジオ少年の話をして下さい。」との招待状が届きました。すぐ「参加」を連絡、飛行機の切符を手配しました。
 情報としては10月17日・18日に韓国の大田(デジュン)で開催、クラブの正式名称は、 「OLD NEW RADIOCLUB」「申 光淳会長、会員2,000人」程度の情報で、クラブの活動や組織などの情報はなく、「どんなクラブなのか?」という不安もありました。

2 韓国の大田(デジュン)に向かう
 
 10月16日に千歳空港を出発、仁川空港へ向かいました。韓国への旅行はパーツの買い出しなどで今回が38回目の訪問になります。大韓航空は定刻に仁川に到着、税関を出ると「RADIO BOY」のプラカードを持った3人のソウルのメンバーが迎えに来ていました。挨拶の後、空港内の喫茶店でコーヒータイムをとり、リムジンバスに乗り込みました。すでに、18時を過ぎ、外は暗くなっていました。3人のメンバーの皆さんの中で日本語の上手なレオン氏の話では、「大田は、そんなに長い時間はかかりません。最初の停留所で降りて下さい。」ということで私は安心していました。ところが、バスが100km以上の高速で走って1時間経っても最初の停留所に着きません。2時間経っても着きません。近くの席の方に聞くと、「後1時間くらいです。」とのことです。なんと3時間もかかるとのことでした。

 空港で迎えて下さった皆さん

 21時過ぎやっと最初の停留所に止まり、降りますと、闇の中から3人の年配の男性が現れ、私を迎えに来てくれたとのことでした。ホテルを予約してあるからということで、ホテルへ向かいました。3人の中のお一人の紳士が、このクラブの申会長さんで、地元大田の忠南大学の獣医学部の教授とのことでした。遅い時間の会長自らのお迎えに恐縮してしまいました。


3 日本の文化の源流をみる
 10月17日、総会は18時から申会長さんの教鞭をとられている忠南大学で開催とのことで、昼間は市内の名所の見学をしました。博物館には、百済次代の多数の資料があり、学生時代に歴史で学んだとおり、日本文化の源流があり、日本との文化の深いつながりがあることを実感しました。日韓の交流は、船の往来をもって行われたのでしょうが、西暦600年位からの交流の証が残っており、交流の歴史の長さを知りました。

4 総会に参加
 さて、17時過ぎ総会会場の忠南大学の実験教室に案内されました。申会長さんはじめ多くの会員の皆さんの歓迎を受けました。クラブ局のDTΦHYの公開運用もされ、また、実験卓には、ラジオやアンプなど参加者の皆さんの力作がずらりならべられていました。


 18時、申会長の挨拶から始まり来賓挨拶となりました。私も紹介され、挨拶しますと、申会長から「貴方を本会の顧問に委嘱します。」と立派な委嘱状を贈られました。感激の一瞬でした。
 事業報告、会計報告、今年度の優秀会員の表彰などが続きましたが、実は会のはじめからビールや焼酎、おつまみなどが並べられていて、それそれぞれにもう喉を潤していました。「これは、韓国の皆さんのつがれるままに飲むと大変なことになる」と思い、「私は、アルコールアレルギーなので」と予防線を張っていました。
 20時過ぎになり、「講演の時間ですの隣の教室に移動願います」との案内に隣の視聴覚室に移りました。早速、NPO法人ラジオ少年の活動紹介ということで私の出番が回って来ました。パワーポイントを使い、「ラジオ少年」発足のいきさつや、活動を紹介しましたところ、会場からは様々な質問が出て、「ラジオ少年」の活動に興味関心を示してくれました。やはり、皆さんが一番不思議に思われたのは、ラジオ少年のスタッフ全員が無給で働いていることのようでした。また、資金提供をどこからも受けていないということが不思議に思われていたようでした。「ラジオ少年」の自転車操業状態の財政も外部からみると豊かな資金を出してくれるスポンサーがいるように想像されていたようです。
 その後、韓国人ですが、アメリカの放送局の現役の技術者の方の講演などが続き、閉会は22時過ぎでした。

申会長から顧問の委嘱状を受ける原 ラジオ少年からは、チューブストラップを贈呈
ラジオ少年の活動を紹介する原 会場後ろではクラブ局を運用
会食は、冷麺? 飲み物は豊富に用意されていました

5 二日目は、製作会
 二日目は、朝から同じ会場でICラジオの製作会で、開発者のHL1IWW マンギル氏が製作指導をされました。同氏のキット開発理念は、「製作者に工夫する余地を残すこと」と話されており、私も共感するところです。
 キット完成後は、参加者が集めたジャンク(新品もありましたが)オークションが開催されました。それぞれが思い思いの価格を付け、落札していました。
 昼食後、総会は閉会となりました。

盛大に開催されたオークション 参加者全員でICラジオを製作
製作したICラジオ    ICラジオを開発したHL1IWW マンギル氏

6 会長さんのお宅には600台

 忠南大学から10分ほど車で移動、郊外の大きなマンションへ案内されました。ここは、申会長さんのご自宅だということでした。申会長さんのコレクションを見せて下さるというこで1階のお宅に上がりました。驚くことに約50坪ほどの5LDKのマンションには、あふれるばかりのラジオが展示されており、ラジオ博物館になっていました。その数600セット以上のことに驚きました。居間、廊下、台所、寝室まで「ラジオ」があふれていまいます。これだけコレクションされた申会長さんのラジオへの情熱に感動しました。

廊下にラジオがぎっしり 蓄音機を紹介する申会長さん
貴重なラジオも 申会長さんと原

7 プロ級の会員さんも

 15時過ぎ申会長さんのお宅から別れを告げました。さらに、もう一軒案内するからと言われ、コンピューターソフト会社を訪れました。そこは、会員の一人であるDS5TUKのShin氏の会社で、パソコンデスクが並ぶ中にShin氏の作業机があり、大型の拡大鏡がおいてあります。チップ抵抗やコンデンサーが散らばり、LCRメーターを開発中とのことで、同クラブの開発キットの殆どは、Shin氏が開発していることでした。
 「これは、完全にプロですね!」と私が感嘆の声を上げると、「いえ、アマチュアですよ」と謙遜されておられました。
 16時過ぎ、Shin氏の会社を後にホテルに戻りました。

   クラブの開発担当のDS5TUKのシンさん  シンさんの工作机はご覧のとおりです


 

8 韓国のラジオ製作愛好家の発展を願って
 
 3泊4日の大田で、クラブの皆さんにお世話になって、本当にラジオづくりを楽しんでおられることがわかりました。活動の輪が韓国内にどんどん広がっているとのこで、うらやましい次第です。現在、同クラブは、発祥の地である大田地区をはじめソウル地区、釜山地区で活発に活動が続けられているとのことでした。申会長さんを中心に活動している、同クラブの活動に大いに刺激を受けて私としては、今は小さな「ラジオ少年」をいつか同クラブのように多くの同好者といっしょに大きく育てたいという思いを胸に帰国しました。
 韓国のOLD NEW RADIO クラブの皆様に招待いただいたことに感謝し、また、ますますの同クラブの発展を願っています。 

 OLD NEW RADIOのホームページは、http://cafe.daum.net/OLDNEWRADIO  です。